2018/07/19
怒りはコントロールから生まれる ~普遍(不変)を超える時~
マインド
自分が他人に「こうして欲しい」「こうするべきだ」そう
思っている場合、
それは相手をコントロールしようとしています。
そのコントロールが上手くいかないとき、「怒り」が生まれます。
または、自分の考えや信念が有る状態で、他人が自分をコントロールしようとしてきた時、
それもまた「怒り」を発生させます。
双方に言えることは、それぞれ信じているものや正しいと思っていることが“違う”ということです。
「正しい・正しくない」は二元性です。
正しいと思うことを遂行していくのは、個人にとって大切なことですが、
個人が正しいと思っている事を、求められてもいない他人に押し付けるのはエゴです。
コントロール(する・される)により発生する怒りは、正しさを押し付けたり、正しくないと思うことを批判することから始まります。
たとえそれが普遍(不変)の法則に基づく物であってもです。
なぜならば、その体系や法則はいくらでも自分で創り変えられるからです。
創り変えるというのはエゴの観点ではなく、“結局のところ自分はどうしたいか”という事です。
ただそれだけです。
既存の普遍の法則は確かに有ります。ある意味それが全てです。
でも普遍の法則も進化していきます。
もし「変わらない事(不変)」があるとするならば、それは「全ては常に変わって行く(普遍)」という事です。
私たち個人が、普遍の法則のソースから抽出しているのと同時に、
普遍の法則のソースも、私たち個人の創造性からエネルギーを抽出しています。
「相互作用の関係性」をイメージします。
風に乗ってくる誰かの涙は、自らの意志で避けることも出来ます。
自らの意志で、感じることも出来ます。
そこに「正しい・正しくない」「良い・悪い」の判断と追及が入った時、
つまり、悪いものを無くそうとする限り、私たちは戦い、切り離されていくのです。
哀しみを忘れるための何かではなく、哀しみに立ち向かえる何かが必要かもしれません。
本当の意味での二元性、分析、判断は、相手をコントロールしようとする為の物ではありません。
大事なのは「いま此処で自分にとって何が必要かハッキリさせること」。
その為の、二元性、分析、判断です。
相手をコントロールしようする二元性や分析、判断は「過去と未来 = 結果」に由来してしまっています。
つまり、もう既に起きた過去の結果、またはこれから手にしたい未来の結果、その観点で自らのエゴに基づいて相手をコントロールしようとする脳の働き(左脳CIA = 共通統合野)から来るのです。
“本当の美しさ” を私たちが探求するとき、すべてのバランスを取り戻し、強さと成ります。
自分が思っている事と、言っていること
自分が言っている事と、やっていること
そこに相違がない時、本当の美しさと強さ、そして、陰陽統合(昇華)となります。
相手の話を聴いていて、自分のハートに響くかどうか。
自分の話が、相手のハートに響いているかどうか。
感じ取ってみてください。
人が涙から逃げようとするのは、何故でしょうか。
2018/7/19
松下 幸広