2017/08/13
完璧な人が完璧ではない理由
ボディメイクコラム
あらゆる分野において「完璧な人」が存在すると思います。
あなたの周りにもおそらく完璧な人がいて、その人が憧れとなっていませんか?
でも完璧な人は本当に完璧なのか?今回はその答を探ってみたいと思います。
「完璧」は客観的に判断される
よく「あの人は完璧だよね」「あの人には非の打ち所がない」といった発言を耳にします。でもそのレッテルは当の本人が決めたものではありません。あくまでも周りの人が自分の価値観や世界観で対象の人を判断しているだけであって、ほとんどのケースでレッテルを貼られている当人は、自分のことを完璧だなんて思っていません。どちらかといえば「自分はまだまだ未熟だからもっと努力しよう」と考えている人のほうが多いくらいです。
この世に完璧は存在するのか
そもそもこの世界に「完璧」は存在するのでしょうか?完璧とは周知のように、一つも欠点がなく完全なこと。完全無欠とあります。一つも欠点がなく完全無欠。今すぐ思いつく此れに値するモノは、生身の人間ではなく、どちらかというと工業製品のイメージが浮かびます。または存在するとしたら「神」や「創造主」でしょうか。
完璧の反対は0〜99
完璧の対義語を調べてみました。諸説あるようですが、「不全」「不備」「欠陥」「半端」などと出てきます。または完璧が100という数値で表される場合に、その反対が0ではなく、0〜99で表される段階的なものだと示す見解があります。とても面白いですね。
そうではないから人は努力する
完璧な人が存在しないとしたら、私達は0〜99の間を彷徨っていることになります。完璧には成れないと分かっていながら、完璧になりたくて人は努力する。だからこそ、私達は長い歴史の中でたくさんの正負の遺産を残してきました。そしてこれからも、0〜99の間にいるからこそ得られる「経験」を基に、助け合い、励まし合い、生きていくのだと思います。
結論
著者が出した結論はこうです。
完璧は存在する
正確には「完璧になれないと分かっていながら、それでも高みを目指したり成長しようとする生き様」。
それそのモノが「完璧」なのだと考えます。つまり「プロセス(過程)」が完璧となり、「結果」もその過程の通過点に過ぎないということ。そして完璧の完全な対義語は「諦める」ということ。そういった結論に至りました。※著者個人の見解です。
まとめ
さて今回は「完璧な人が完璧ではない理由」を紐解いてきました。あなたからすれば一見完璧に見える芸能人やモデル、スポーツ選手でさえ、当人はもがき苦しみ、どん底を味わってきた可能性は大いにあります。
先述したように、完璧に見える人ほど決して自分のことを主観的に完璧だとは思っていないケースが多いですし、その自分を分かっているからこそ、人に見せない努力をし、公に現すその姿が“客観的には”完璧に見えているだけ。そしてこれが今回のタイトルである「完璧な人が完璧ではない理由」です。
ただ、著者が出した結論の観点では、成長しようしている人は例外なく「完璧」です。諦めた人だけが完璧ではなくなるのです。
成長し続け、強く美しくなる勇気を持ちましょう。